読書:幸せな死のために一刻も早くあなたにお伝えしたいこと

何気なく上野駅構内の本屋にて購入。

さりげなく開いたページの内容が心に刺さりました。

外科医である著者が、患者の生死を医療現場にて見続けて考えたことを書かれた本です。

人間は、だれしも一年後まで生きている保証がないこと、五体満足でいられる保証がないことを前提として、本書では、読者に次の質問を問いかけています。

P62〜P68

「もし一年後に歩けなくなるとしたら、この一年間でどこにいきますか?」

「もし一年後に目が見えなくなるとしたら、何を見ますか?」

「もし一年後に口からものが食べられなくなるとしたら、何を食べておきたいですか?」

「もし一年後に話せなくなるとしたら、誰と何を語りたいですか?」

「もし一年後に耳が聴こえなくなるとしたら、何を聴いておきたいですか?」

やりたいこと、後回しになっていませんか?

P87

明日が(人生の)締め切りだとしたら、きょう何をしますか? 来月が締め切りだとしたら?

 アップルの創業者、スティーブ・ジョブズも同じことを言っていました。

今日が人生最期の日なのであれば、はたして今やっていることは本当にやりたいことなのでしょうか?

P156

最近は八十代の夫婦が病室に二人きりで、子どもたちは遠方で仕事があるから来られない、ということも珍しくありません。

私は若造なので、「親の最期の付き添い以上に大切な、重要な仕事がこの世にあるのか」などとおもってしまいますが。

 著者に同じく、親の最期の付き添い以上に重要な仕事はこの世に無いと考えます。

幸いなことに私は両親とも健在ですが、いつかは避けては通れない事だと覚悟はしています。その時はどんな重要な仕事があっても付き添いを優先しようと思います。

次は著者の考えとは必ずしも一致しないところ。

P206

言い換えれば、「あなたは死なない」

なぜなら、自分が死ぬときには、それを自覚することはできないし、体験もできないのです。思い出せないし、メモも取れないし、SNSにもアップできないし、誰にも伝えられない。だってあなたは死んでいるのですから。

そうだとしたら、「幸せな死」というのは、いったい誰にとっての幸せなのでしょうか。

私は、その考えを「あなたにとっての幸せなのではなく、あなたの大切な人にとっての幸せ」な死なのだ。と考えています。

私たちは、大切な人たちのために、大切な人をより大切にし慈しむために、「幸せに死」んでいかなければならないのです。

個人的な思想として、私は自分が死んだ後の世界の継続を信じていません。

しかし、大切な人にとっての幸せを願って死ぬことができれば最高の最期だと思います。

そして、次は本書における最高の提案

P234〜235

いつ死んでも後悔するように生きる

<中略>

いつ死んでも、後悔する。

私は、そんなふうに行きたいな、と思っています。 

自分のやりたいこと、成し遂げたいことに人生の最期まで向き合っていられること。

これ以上の幸せはないのかもしれません。

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